急がば回りこんでドロップキック

後藤あいといいます。

己を知れ?

やりたいことを聞かれてニヤニヤして、夢はと聞かれてまたニヤニヤして、晩ご飯何がいいか聞かれて目前に見える食材を指して、自室に帰れば「自分のことが分からなくなってしまったあああ!一体私は何が食べたいんだあああ!何者にもなれずにこのまま死んでいくんだあああ!」と日記に殴り書く。

私はフリーランスとして仕事をしてるんだけど、
それでもありがたいことに仕事はあって、
編集の力を頼りに入稿する毎日。
スキルや熱の低さがバレて、仕事が減った。
当然の報いだったが、改めることもなかった。

仕事が減って、
ただそれだけの事実で、
私はこの仕事向いていないと思った。
そして自分を守るように、
私はこの仕事好きじゃないんだと思うようになった。

暇だったのも大いにあろうが、諸悪の根源は自分がどういう人間で、どういう価値観の中で生きているのかが分からないことだということに気づき(うすうすは感づいていたような…)、ここが解ければ、私の本当にやりたい仕事がみつかると思った。

長所だってないはずないんだ、たぶん。

苦しくて面倒な自己対話をショートカットできる診断をみつけた。

16Personalities
https://www.16personalities.com/ja

「16Personalities」とは、NERIS Analytics Limitedっていうイングランドとウェールズにある会社が運営しているコンテンツで、MBTIの性格検査をもとに作られているやつらしい。TwitterとかFacebookとかでちょっと前に流行っていたやつ。

70億人をたった16種類にわけるな!っと、今までこういった類の診断を毛嫌いしていたが、ガチガチに凝っちゃってる私には、10分の質問に答えるだけが精一杯だったので、セニハラ〜という感じ。

受けてみて、ついこのあいだまでへ、言葉に出来なかった自分の心(別説:言葉にしようとする体力と忍耐がなかっただけ)を見事に示してくれた。嬉しかった。

さらに「文字を操る才能」とか「文章の才能」とかの診断が出て、どうやら今の仕事、向いているらしいということを知る。

そして、とり急ぎ今は、この診断の信ぴょう性を考えることは放棄して、私にあるらしい「文字を操る才能」を信じることにした。

信じることにしたら、自分の中に自信(に似たもの、かもしれない)を見つけた。

他のものを信じたら、自分を信じることができるって、なんだか普遍の法則を悟ってしまった感じがある。まあ、吹けばまで飛んでくような自信だけど、当分を生きるのに十分すぎるほどであった。

書けるようになりました。
さすがだね、頼りになるねって褒められました。
生産性もめちゃ上がりました。
早起きできるようになりました。

そして、仕事がなんだか面白くないのは、自分が面白くない人間だからだったようだと気づきました。

見つめないで、耐えないで、諦めて、赤入れされたらふてくされて、言われたこともできなくて、辛い、無理だ、向いてません、辞めますって、ばか。

あーたしかになあ、って自分の心を分かっただけで
こんなにも嬉しいと楽しいと大好きがもたらされるって。

麻薬?本当の自信?そんなのは取り急ぎ、いいじゃない。

明日も早く起きたい。仕事したい。書きたい。それだけで充分。

私はライターという仕事が好きだと思っていました

好きなことを仕事にしてるつもりだった。

この前書いた日記で、私よ、もっと書かんかい!と喝入れたけど、わざわざ喝を入れなくても書かずにいられなくなる人がいることを、さっき知った。

ああ、そんな人に勝てるわけないじゃんね。

そこまでの熱、私にはなかった。認めたくないけど、やっぱりそうかもしれなくて、ちょいと考えてみなよって、私の文を毎日みてくださってる方に、お休みをいただいた。2日間。そういう筆者の熱って書かれた文章から分かっちゃうんだって。

そして、私みたいにスキルの足りなさに挫折することはどんなライターさんにもあって、みんなそれを真正面から受け止めて闘って、それを経て魅力的な文章って出来上がってるんだって。

一方私は挫折したまま逃げている。
向き合ってないから自分の意見なんて最近すっかり分からなくなって、いる。 同業の方からしたらナメてんじゃねーって感じですよね、仕事をくれてる人に対してあまりに無責任、読んでくださる方には……考えるだけで所在がなくなってしまう。

2日間書かないと、書かずにいられない気持ちが湧いてくるのかな、そのまま連休が終わってアー明日から仕事…って思うのかな。私が本当にやりたい仕事ってものを書くことじゃなかったのかな。まさか、そうなのか。

自分探しの2日間。

後悔しない結論が出せるよう、大切に使おうと思います。

移住の末路じゃなくて自分の限界

9年続いた首都東京(含近郊)での一人暮らしに終止符が打たれ、静岡浜松のイオンのそばにある3DKで父母と3人暮らしをはじめて3ヶ月が経った。

東京(含近郊)にいたころからしていたフリーのライターを浜松でも続けているのだけど、

仕事が激減しました。

月売上ベースでMAXから5分の1くらい。

隔週でやろうといってたFaceTimeの打合せは2回で自然消滅。コミュニケーションが上手く取れずにミスばかりして、結果が出せずに、縮小。

交通費出せないから僕が取材するよって、手間。来られないならそっちでできる仕事振るねって、消滅。

だから、私は、行ったことのない場所を紹介し、買ったことのないもののリンクを貼った記事を書きました。

お金のためでした。

業界・メディアのあり方を変えようと粉骨砕身なさってる同業の方とか親身になって様々を教えてくれた先輩には顔向けできないけれど、とても悔しかったけど、私は書くことが好きだけど、今の私にはそんな仕事しかない。いや、それしかないわけじゃないが、それだけでは生活ができないんだ。

そんな仕事とは失礼でした。ただ、私は行ったことのない場所を紹介し、買ったことのないもののリンクを貼る記事を読むのが好きではありません。

しかし、それでも、こたつでヌクヌクしながら書けるヌクヌクした記事でも、構成から文字チョイスまで、 原型とどめないほど赤入れされたり、ナメてるとしか思えんと言われたり…とか…。

そうです。今私に仕事がないのは、距離のせいではないのでした。

そうそう、最近、友人が単行本を出して漫画家になった。

私もいつかブログが話題になって本とか出したいんだよね、どっちが早いかなあ、ふふふ、なんて(勝手に)競争してたりしたのです。

でも、先日彼女の家に行ったら、私がキャンクラしてる隣で、インクが出ないペンで、何も写らないボードにシャーシャーって、うーんって唸って肩甲骨ガチガチに固まらせながら、ずーーーっと書いていました。インク出てないからだよ、と冗談も言えぬくらいの気迫。トイレ借して、とも言えないくらいの気迫で、私は勝手に席を立ち、納戸を開けてしまいました。

納戸の次に開けたトイレのドアの奥で用を足しながら、鈴木おさむが言ってた川ってこれかと。

私が、どっちが先かなあ!楽しみだねえ!サイン考えないとねえ!って雑談の後ろで闘争心むき出しにしてる間に、彼女は。彼女はただ、肩甲骨をストレッチすることもしないで、ずーーーっと書いていたんだなあ。

ただ、それでも、そんな私にも、ブログの問い合わせフォームから仕事をくれたり、打合せしましょって東京に呼んでくれたりする人がいる。

オフィスに行くたびに、きっと劇的に忙しいのにご飯ごちそうしてくれたり、仕事で良くしてくれている美と心の師匠(勝手に言ってる)は、あいちゃん元気なさすぎだからこの精油もってけ、って励ましてくれたり、あいちゃんにやってほしいこといっぱいあるから今度浜松行くよ、うなぎ食べながらそこで打合せしようって、冗談かもしれないけどそう言ってくれる人がいます。

そういう会社に、そういう人に出会えたことが、とっても嬉しくて。応えたい応えなきゃと、至極ビジネス感のない幼稚な考えに至りました(遅すぎ蓮)。

書け

書け

書け

キャンクラ辞めろ

そういう感じです、今。

なりたくない人々

仕事終わりに食材を買いに行って作って、食べて横になって寝るまでスマホゲームをしている母へ、

日の入りとともに仕事をおしまいにしてからスマニューとテレビを寝るまで行ったり来たりしている父へ、

その時間、ちょうだい。

コメダに行ってフライデーを読む父とキュレーションアプリの記事を笑いながら読む母は、生きていて楽しいのかな。

言いすぎか。

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おっと、これは後に見たら気分が悪くなるやつなので補足しておこう↓↓

自分はどうだ?