急がば回りこんでドロップキック

後藤あいといいます。

3連休の1日目、渋谷の住宅街、ゴミステのおじさん

3連休初日。友人がウィークリーマンションの近くで飲み会を開いてくれたので、歩いて帰ることができた。

5m間隔でネットで隠した燃えるゴミ。ああ、明日はゴミ日か、溜めに溜めたいらないもの、帰ったら出そうと思った。

5mおきのゴミステの密度、浜松と比較する。そんな変わらないけど、浜松では夜にゴミ出しする人はいない。早起きだから収集の時間に間に合うように出せるんだよねえ。

坂の途中のゴミステで、ガサガサと音が聞こえた。

見ないように見ると、おじさんがゴミ袋を指で破って、中をチェックしていた。そばに停めてた彼の愛車らしきチャリのカゴは、50%くらい何かで埋まっている。1時を過ぎていて暗く、見ないように見たくらいだったけど、綺麗なものは詰まっていないのはオーラから感じ取ることができた。

彼の横を通り過ぎると、その3m先に「日本はもっとよくなる!」と政治家のポスターが目に入る。ゴミを漁っていたおじさんはこの言葉、信じているだろうか。そもそも彼の目までしっかり届いているだろうか。

もっと先を歩くと「最良の環境、この街に住んでみませんか」っていう不動産屋の看板を見つける。安っぽいフォントだなと感じてから、少なくとも彼に当てたキャッチではないと思った。彼にとっての最良は分からないけど。

ただ、彼の横を通るときカバンにぐっと力を込めた自分もいたし、ゴミを出してその袋を破られて持ってかれてしまった住人とか破れたゴミ袋を見る通行人、風でまってくゴミを走って拾う収集の人は朝から良くない気持ちになるし、やっぱり私はどんな事情や趣向があれ、ゴミを漁ることは彼の最良とは思えないから、やはりここは最良の環境とは言い難い気がした。

せざるを得ないことをするなと言えないから、せざるを得ないことなんてなくなればいいのにと祈りっぽい願い。生粋のごみ漁り好き?趣味悪いね。

最良でないけど、好き。良いものと好きなものは違う。生きること即選ぶことなのだなあ。

非東京に対するコンプレックス

東京へ来て5日。ウィークリーマンションに近づくと、あー帰ってきたなと感じるようになった。特有の香りも認識できるようになった。

あと、私は東京に憧れているらしいことが分かった。

家の鍵をかけてから4分で電車に乗れること。そこから10分もしたら雑誌に載ってるオシャレブランドの旗艦店に着くこと。仕事の打ち合わせに行き放題なこと。やりたい案件がいっぱいあること。下品で頭が悪そうな人間が少ない(目に入らない)こと。免許のない私でも好きな時、行きたい場所に楽に安く着けること。かつての東京生活でできた友人・同志・同業の仲間に会えること。平日の昼間からスーツを着ていない独身アラサー女が1人でPCをいじっていてもジロジロ見られないこと。

憧れてる理由、具体的にはいろいろ持ち上がるのに、どれも決定打ではない。考える余地ありなので、帰る前までに明らにしたい。

しかし、私に東京への憧れがあったことに気づいた、これは大きな収穫でした。

両親と暮らすことが嫌だという理由で逃避行を実行したけど、もし両親と東京に住んでいたなら、ここまで、家出するように逃げるまでには至らなかったのではないか。

分かりかけていたのに!
決意しかけていたのに!
地元嫌いかも、で、急にこじれてきた!

私は東京が好きなんだ。
スペック足りず弾かれてしまうかもしれないけど、スペック足りず弾かれた人でもいることが許される街なんだよね、東京って。

温かいんだか冷たいんだか、寛容なのか無関心なのか分からんけど、いいなあ。大した能力もないのに、会社員じゃないのに胸張って歩けて、住み良いなあ。浜松、嫌い。

売れたいか趣味か図りかねるミニ劇団の俳優ブログみたいになった

仕事の打ち合わせが終わり、とりあえず朝飯っと外に出たら暑くて、朝と昼と夜のお弁当を買って、そこからずっと本を読んでました。

滝口悠生さんの「茄子の輝き」「死んでいない者」「寝相」と、和辻哲郎の「生きること作ること」(1000周目)というやつです。

「茄子の輝き」はKindleにないのですが、紙の本を読んだのは久々でした。わあ紙の本だーと思いました。脳みそがガチガチになって眠れなくなったのは、きっと滝口悠生さんの本を1日で3冊読んだからですね(良い意味)。

あと、今日締め切りの原稿を忘れてて(実は忘れてなかったのだ!)、やりました。

本、全部面白かったから(あくまで私は、です)リンクを貼っておきます。
和辻哲郎のは青空文庫だしすぐ読めます。
生きること作ること
茄子の輝き
死んでいない者
寝相

散歩

夜、散歩していたらデカめの公園に着いた。

ひとりで生活するって、最高!
人と暮らすって、面倒!

と思っていたが、割と大変で、ふーっと孤独感がやってくる。

と、一人暮らししていたころには、実家で暮らしているころには気づかなかった、至極単純なことを仰々しく発見した。論理的思考の癖と冷静さが当時身についていればとっくに気づいていたのだろうけど、でも気づいたって心が納得できなきゃやっぱりモヤモヤしたままだったのだなと思い直し、いやでも論理的思考ってそういうことだろ、ってどうでもいいことを考えた。

今日はまつエクしてくれた人(アイリストさんというらしいですね)と暑さがやばい旨を話しただけで、ずっとひとりだった。

それでも、空の缶コーヒーを持ってゴミ箱を探してる浅黒い男
仕事帰りかエプロンのままでとぼとぼ歩くおばちゃん
イヤホンマイクで笑いながら電話してる可愛い女の子
関西弁で仕事の話をしているキャリアウーマンの二人組
銭湯帰りで湿気を帯びた垢抜けない青年
オシャレと馬力を兼ね備えた細っこいチャリを猛スピードで漕ぐ細っこい若者
奇抜な髪と衣装を身につけた奥さんと0時過ぎてるのに大声で話す旦那の老夫婦
テレビで見る姿より幾分かの人間らしさを醸す芸能人
チャリで駆けつけただろう警官たちと
少し離れたところでふてくされているこれまた浅黒い奴さん
ふくらはぎが水分でパンパンの7cmヒールのキャリア
目の前の電柱に驚く歩きスマホの美魔女系婦人
出す灰と煙に無頓着な歩きタバコをする恰幅のいい男
パンパンに詰まったどでかいトートバッグを持ちながら闊歩する気迫満点の大学生風
変わりそうな信号の青に関心を示さない細マッチョ
微妙な距離を取りながら歩く男女 公園で抱き合う男女
スマホで何かをチェックしてから駅へ向かって小走りを始めた白髪染めのせいで頭に艶を放つおじさん
通った救急車にチラリと目線をやるタトゥー盛りだくさんの男性
スーパーからマイバッグをさげて出てくる老婦人
店の前のガードレールにもたれて休憩する中華料理屋の店員

いっぱいすれ違って、全員歩いていた。歩く目的はうかがい知れないけれど、全員しっかり生きていた。当たり前だけど、ああ、それだけですごいなと。生きづらいとか言われる東京で、みんなすごいなと。私もその人たちの目に触れられる範囲に中に入ることができて、嬉しいと思った。私も、凄いってことじゃん?

自分から玉の汗が出てきたは久しぶりだった。なにせ散歩に選んだ服はおろしたてのユニクロのニューアライバルのネルシャツワンピースだから(これたぶん秋服ですよね、まだ早いですよねたぶん)。

凄いなあ、でも、浜松もきっと歩いている人、いっぱいいるんだろうなあ。母も、父も、今歩いていて、生きている。これまで私は、見たくなくて、見ていなかったんではないか。浜松という場所は、夢破れて感情を押し殺した上で来た、いわば墓場のように捉えていたから。

ちょっと、ほんのちょっと、母ちゃんと父ちゃんに会いたくなった。今日は夜散歩してね、楽しかったよ、明日は仕事で打合せ行くんだよ、朝起きられるか心配なんだよ、打合せの後は前から行きたかった餃子屋さん行ってみようかと思ってるんだ、プライムデーで買ったKindleがやっと届いてね、まじ紙みたいなんだよって、そう伝えたくなった。来る前、母に最近あいはミイラみたいだと言われたから、きっと心配されちゃうくらい引かれちゃうんだろうけど。

だからLINEするのは辞めた。そもそも帰宅した2時に送ったって翌朝「2時まで起きてたの?大変だね」って言われるだけなのも分かっているし。私も私で生きているんだけど。

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