読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

急がば回りこんでドロップキック

後藤あいといいます。

あんたは東京という場所に合わないんじゃないか

考えたこと

朝起きられない問題に悩まされているが、ふと母親にそのことを話すと、前から思ってたんだけどと無慈悲な前置きをされて、「あんたは東京という場所に合わないんじゃないか」と言われた。

微塵も考えたことがなかったので衝撃。

静岡にいる母曰く、東京はせかせかしてるから、マイペースな私は、東京時間についていこうとするだけで、疲れちゃうのではないかと言う。

せかせか?東京時間?

親の言う通りにしなきゃいけなくはないけど、東京にいる真っ当な理由、拠り所を見つけないと。自覚めいたものがうようよしている時間、まじで消耗してくだけのような気がする。

東京といえば、ヒルナンデスで紹介してた店にちょっと電車に乗れば行ける、有名無名関わらずいろいろなお芝居や画や音楽やお笑いが見られる、終電後も(体力次第で)充分遊べるとか、なんだろう選択肢がたくさんある感じ。でも、"ただただ選択肢がたくさんある"、というだけなんだよなあ。私のような根っからの出不精が、東京にいるというだけで外に出るようにはならない。

その選択肢のイチには、「外に出ない」ってのもあって、例えそれを選んでも受け入れてくれるのが東京のような気がする。実際、田舎では"あるある"(だと思う)の、「ここに引きこもりが住んでる」なんていうご近所の気持ち悪い噂は、出回っていないよう。

とはいえ「私は、日本の首都、東京に住んでる!」なんてステータスじみたのが自動的についてくるから、井の中を泳ぐと劣等感とか焦りとかを感じる。まじいらぬ世話。それでますます引きこもっちゃうんだから。別に引きこもりが悪いことだとは思ってないけれど。

母に言われた「東京離れれば?」発言に対して、私が反射的に言い放った「いやいや、ちょっと待ってよ」は、道に迷って途方にくれてる私も放っておいてくれる優しさにある。それとは裏腹に存在するクリーンな都会感が邪魔。ここまで来るまでに落としておいたパンの欠片を拾いながら戻ってみる?鳥に食べられちゃってるわ!それでもガチな皇居ランナーは、たとえ静岡のド田舎にいても走るんだよなあ。

私は何がしたい?どう生きたい?を考えるのと同じだ。

やればできるんだぜ→やらない

寛大なのかシビアなのか分からんくなってきた

結論、もうちょっと待ってよ

151028_tokyo_01