有名な人を見ると悔しさだけが
薬を飲んだのに眠れなくて、キッチンの電気を間接照明とみなしてぼけーっと最近ブルーライトカットが実装されたスマホを見ている。
最近は早寝早起き運動を実施してるので、こんな時間、何だかそわそわする。
最近はライターとしてのお仕事をいただけるようになってきて、昨日も今日も打ち合わせをした。ライターの仕事、好きだ。ずーっとやっていたいと思う。会社員じゃないし好きだからこそ遊んでいる感覚に陥っている。
不安定だけど、もっと有名になってバリバリ書きたいけど、そういう意欲が湧いているというのは大学生の時、バンドのコンテストに出た時、それ以来。こういう気持ちが残っていたことが嬉しくて、生きる喜びみたいなものを感じるが、まあ、言い過ぎだろうね。
有名な人がいて、才能のあるひとがいて、小説もエッセイもたくさん読んできた。凄いなあ、素敵だなあと思うけど、本当は悔しくてたまらない。全然面白くないのになんでこんなチヤホヤされるんだよ。私の方が面白いだろ。可愛くもないし。かといって可愛くても腹立つけど。
そういう卑屈ノートをつけてたらまじで卑屈になったから最近やめたけど、とにかくまともにに見ていられないよ。最近、バラエティTVとか本とか
かといって我が道を用の道もないしな。(おそらく)いわれのない万能感。最近の若いやつの典型とかいうんだろ。私は私でその若い奴のカテゴリーに入っていることに安住しているの。お仕事で書いた文が編集されて戻ってくるのがすごく悔しい。ブログが読まれないのがすごく悔しい。生きてる喜びはきっと読まれてから生まれるものだ。書いてる時よりもっと強烈な、生の歓喜じみてるんだろう。
何から始めたらいいんだ。早寝早起きしたって、バランスのよい食事を摂ったって、それだけでは心震わせる文章は書けない。経験値が圧倒的に足りないんだ。いつか中身のないやつだとバレる。ほいできっと今いただいてる仕事もなくなる。
岐路。糧。経験値。ゴールとスタート。何かが足りない。もしかしたら全部たりない。
薬を倍飲んだらしゃっくりが止まらなくなったわ。
以上雑記。翌日見るとなんじゃこりゃってなるタイプの雑記。