急がば回りこんでドロップキック

後藤あいといいます。

行動認知療法とモレスキンのノートと自意識

このもやもやはなんだろうと思った。

病院の先生に「認知行動療法」というものの存在を教えてもらって、家帰ってぐねぐね考えてみた。

認知行動療法」というのは、どういう事実があって、それに対してどう考えてしんどく感じるのか。それを分析した上で、その事実自体を避けるのか、思考が間違っていたことに気づいて考え方を変えるのかを判断する的なことだったと思う。というか私がそう理解しただけなんだけれど。

誕生日が一緒ってだけで意識してるゴッホも使っていたというモレスキンのノート(買っただけで満足して真っ白)を久々に開いて、気に食わない(かった)ことをつらつら書いた。

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中学生のころの書き取り帳を思い出す。

スムーズとはいかないまでもノートを壁に投げつけることなく最後まで書けたこと自体が、私の中の大きな収穫だった。こうして嫌なこと、病気になるまでのことを、つまびらかにすることは無理かもと思っていたから。復活したんだ!多少記憶飛んでどうしても思い出せないところもあるけれど、それは精神的な病気の人によくあることだって先生も言ってたし。大丈夫大丈夫。(暗示めいててうける)

この事実に対して、ひとつひとつ感じたことを書いていった。それから、どうするか。仕事のことについては、ある程度事実自体を避けることで解消できるが、社会通念とか秩序とか避けては通れないこともあって、結局ゆとり教育で鍛え上げられた自意識と向き合うことになってしまった。困るよ。社会復帰したいよ。やっぱり嫌だよ。あーーー。

自分自身に何かが足りない。他人の話?読書?夢?お金?愛情?なに??

みんなはどこかで折り合いをつけたり、我慢したりして上手くやってるのに。どうして私はできないんだろう。こうやってのたまわっているのもやっぱり自意識が強いんだねとか思っちゃうし、思われちゃうし嫌。全部ゆとり教育のせいだ!腹立つ!

とはいえ、ご存知の通り世の25歳がみんなこうだというとそんなことも全くなくて。こういうのは書き取り帳とともに中学生で終わらせておくべきだったんだと思って、やっぱりノート壁にを投げつけた。